【アドラー・課題の分離】で子育ては良好な関係を築ける/事例と共に解説

岸見一郎著『嫌われる勇気』がメガヒットした、アドラー心理学。

本を読まれた方も、たくさんいるかと思います。

 

心理学というよりは、“人間のしあわせな生き方とは”、というような、哲学に近い内容ですね。

 

そのアドラー心理学には、重要ないくつかの概念があります。

今回はその中の、『課題の分離』という考え方について、実例を交えて解説していきたいと思います。

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課題の分離とは


アドラー心理学では、人生の課題は、本人が解決しなければならないとあります。

子育てでは、その課題を自らの力で乗り越えていける力を育むことが大切だとされます。

 

その人の課題に他者が踏み込み、先回りして解決することや、自分の課題と混同して関わることをよしとしません。

 

たとえ親子であっても、子どもの課題に対して親が足を踏み入れるべきではないとアドラーは言います。

少し抽象的な表現で伝わりづらいかもしれないので、事例をもとに説明していきます。

子どもの反抗的態度

例えば、子どもが宿題をしないとします。

これに対して親は、「宿題してから遊びなさい」や「あんた宿題やったの?!」と声をかけることはよくあることですね。

 

そうすると、「今やろうと思ってたし!」「自分でやる時間決めてるし!!」

と、ムカッとした態度で子どもに返されたことありませんか。

 

「うちの子、反抗期かしら。困ったもんだわ。」

と、心配されるお母さんも多いかと思います。

 

ですが、思い返せば自分も子どもの頃、同じような経験をしたことがあるのではないのでしょうか。


この反抗的態度は、親子であっても踏み入れてはならない領域を侵してしまっているため起こると考えられます。

 

親子の関係って、大人になって振り返ると、わりと”人権無視”なことってありませんでしたか?

まさに他人の領域に土足で、ずけずけと上がりこむようなことが、日常茶飯事に行われていました。

 

自分の領域に他者が無許可で踏み入れると、必然的に不快を感じるものです。

ですが、大人になり、親になると忘れてしまうんですね。

よくある教師の事例

学校の先生は基本、真面目で思いやりのある方が多いです。

ですので、無自覚に他者の課題に介入してしまうことは多々あります。

 

子どもが失敗する前に、予防線を引きまくって事がスムーズに進むように準備に余念がない先生。

算数の宿題の丸つけを、クラスの全員分、毎日やってあげる先生。

おまけに、間違えた個所に丁寧に付箋までつけてやり直しをさせています。

 

行き過ぎた例では、再任用の先生でしたが、孫をあやすかのように、ノートの間違えた個所を消しゴムで消してあげていました。


自分で消せる能力があるにもかかわらずです。

 

失敗からも多くのことが学べるのに、

丸つけや間違い直しを自分でする力をつけられるのに、

少しの困難を、親切にも教師が奪ってしまっていることは多々あります。

 

誰のために学校に来て、誰が学び、誰が成長する場所なのか。

『教師のための学校』しているケースは少なくありません。

真面目で一生懸命すぎるあまり、指導をやりすぎてしまうのですね。

 

それは過干渉とも言えます。

 

子どもが自力で乗り越えていくべき課題を、余計なアシストをしすぎてしまっているのです。

 

これでは、課題を乗り越える力を養えないばかりか、依存的な人間を育ててしまうことにもなってしまいます。

責任の所在を明らかにする

課題は誰のものか

アドラー心理学の「課題の分離」とは、そもそも宿題や学習は誰のためのものなのかに焦点を当てます。



これは子ども自身のためにあるものと考えられます。

やらないことで困るのは、子ども自身であり、親や教師ではありません。

 

大人としては、しつけたいとか、勉強させたいとかいう思いで口を挟みたがります。

やらせないことで、将来ろくでもない人間になると心配にもなります。

ですが、その根本には、やらせなかったことが回りまわって、自分に返ってくることが嫌であったり、

 

望ましくない子どもの将来を見たくない、自分のためであったり、

 

子育てにおける自分の欲求を満たしたいがためであったりすることも往々にしてあります。

 

そのように心配な気持ちになるのは、親の課題です。

ですが、その親の課題を解決するために、子どもに強制力を働かせてやらせたり、過干渉になったりするのは違うということです。

課題が誰のものなのか所在を明らかにし、子どもの課題と自分のものが混同してしまわないようにすることが大事です。

 

他者の課題に平気で土足であがりこみ、自分の思いを押し付けてしまっては、当然、同じ熱量の反発が返ってくるわけですね。

先回りして、さまざまなことを経験できる機会を奪ってはいけないとアドラーは言います。

放任することではない

では、「やらなくてもO.K、これはあなたの問題だから好きにしなさい。私には関係ないから」

と、放任すればいいのかというと、それは違います。

 

宿題をしなかったことによる、終末を体験させたり、未来を考えさせること必要です。

人は無意識に、快楽をもとめる性質がありますから、放っておけばこの先、何もせずに楽な方に流れることも予想できます。

 

(心から望んでの”やらない選択”であればO.Kですが、無知からくる誤った選択は本人のためにもなりません。)

宿題をやらずに学校に行けば、学校でのペナルティがあるでしょうし、それは社会のルールを学ぶことにもつながります。

 

その、やらなかったことで起きる責任を本人に味わわせることが大切ですね。

それで成績に”がんばろう”がついても、本人が選んで決めたことです。

 

「その責任を本人が負う」、それが学びです。

 

ただし、子どもは大人に比べて、経験も情報量も少ないですから、勉強をやらないでい続けることで、

どんな未来が起こり得るのか、選択肢がどのくらいになるのかなどの、将来の情報はしっかり教えてあげる必要はあるでしょう。

必要な介入もある
もし、身に危険が及ぶようなことであれば、わざわざ終末を体験する必要はなく、このままいけばどうなるのかをしっかり考えてもらうことも大切です。

 

また、命に関わるような緊急を要する場合なら、無理やり介入して止めることも必要な場合もあります。

共同の課題


自分で責任を持って負うべき課題であったとしても、本人が一人では解決しきれないものであれば、家族や周りの者は手助けをする必要があります。

 

これを共同の課題といいます。

 

あなたの課題でもあるし、これは私の課題でもあるから、解決に向けて協力してやっていこうね。ということです。

ですが、これはあくまで、本人が手助けを求めた場合です。

 

大切なのは、子どもが助けを求めるまで親はじっくり見守ってあげることです。

いつでもあなたが助けを求めたときは、力になるよという姿勢を見せておくことが大切だとアドラーは言います。

 

これはすごく高度なことかもしれません。

子どもを思えばこそ、ついつい手助けや口出しをしてしまいます。

 

見守ることは、根気がいりますし、勇気もいります。

ですが、その関わりが本人を大きく成長させます。

 

痛みを味わい、解決のために考える機会にも恵まれます。

大人でも、仕事を任されたのに、横で上司が心配そうに、ああでもないこうでもないと口を挟んできたり、ミスしたとたん、ほらみてみい!とばかりにダメ出しをしてきたらどうなりますか?

 

任せたなら、ほっといてよ!!!となりますよね。

 

子どもも同じです。

自分の課題として、自分で向き合えるからこそ、本当の解決策が生まれるのです。

 

子は親の所有物ではありませんから、子どもを信頼し、見守る。

そして、それぞれの課題を分離して捉えることが大切ですね。

まとめ

それぞれの課題を尊重し、分離して捉えるアドラーの思想についてまとめました。

 

親子だからこそ、踏み入れがちな問題ではありますが、じっくり見守ることは後々の子どものためになるのではないでしょうか。

 

干渉でも、放任でもなく、各々が自分の人生に責任を持って生きていく。

そのスタンスを子育てや教育に生かせれば、子どもはもっと自立的に、伸び伸びと成長できるのではないかと思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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