アドラーから学ぶ『目的論』
現代の日本で、アドラー心理学「嫌われる勇気」が爆発的にヒットしたのは、間違いなく今の日本の世相にマッチしたからです。
そのアドラー心理学の中で、中核を担う概念の1つに、目的論があります。
目的論とは、過去の原因に目を向けるのではなく、未来どうしたいのかを考えることをいいます。

また、人間の全ての行動には目的があり、たとえ不適切な行動であっても、その行動の裏には隠れた目的があると考えます。
物作りの仕事をされている方や病気を治すドクターは、原因論的視点で仕事に取りかからないと困ったことになります。
なぜなら、車の整備士が修理を依頼されて、壊れている原因をすぐに発見できなければ直すことができません。
ドクターも同じく、問診から的確に病気の原因を突き止め、適切な処置を施せなければ、患者の病気を治すことができません。
つまり、仕事ができる人ほど原因を突き止める能力に長けています。

学校現場で見られる『原因論』
そして、教師もまた有能な方が多く集まる職業です。
実際に、多くの教育現場では、有能な教員による原因論的視点での関わりが多く行われています。
しかし、それがさまざまな問題を新たに生み出しています。
なぜなら、教師が扱うのは商品ではなく「人」だからです。
人に対して原因論的関わりを続けるとどんなことが起こるでしょうか。

「なんで、宿題を忘れたの」「なんで、あの時真剣にやらなかったの」
「テストの点が悪かった原因は何か考えなさい」
「3年の時にさぼっていたからうまく吹けないのよ」
「先週も同じ事言われたよな。」「お前はいつもそうだ!」
「真剣にやらないお前がいつもみんなのやる気を下げている」
といった感じです。
これらは全て、過去の行動にフォーカスし、過去の行動を指摘することに重点を置いています。
問題点を指摘することで、同じ過ちを繰り返させないことが狙いだと思いますが、実際に言われてみるとどんな感じがするでしょうか?
人間には心がありますから、自分のできていないところを指摘され続けると、その言葉を受け入れられなくなります。
反発する子もいるでしょうし、気の弱い子だと、言葉を真に受けて、「私ってやっぱりダメな子」を強化してしまいます。

ではどうすればいいでしょうか。
改善すべき点は早々に改善した方がよいです。
より良い関わり方として、目的論的関わり方があります。
過去ではなく、未来どうすればいいかを考えます。
私の口ぐせは、「じゃあ、どうしたらいいかな?」です。
原因論とは逆に、未来志向で声かけをするなら、どんな声かけができるでしょうか?

未来志向的な声かけ
「なんで、宿題を忘れたの!」
↳「明日はどうすればやってこれるかな?」
「なんで、あの時真剣にやらなかったの」
↳「〇〇なら、真剣に取り組んだら、さらにかっこいいと思う。次はその姿を見せて欲しい。」
「テストの点が悪かった原因は何か考えなさい」
↳「次は何点を取りたい?そのためにできることは何だろうね?」
「3年の時にさぼっていたからうまく吹けないのよ」
↳「今日から少しずつ吹けるようになる。まず何から練習する?」
「先週も同じ事言われたよな。」
↳「先生も同じことを何度も言いたくないし、お互い嫌な思いになるだろ。この次は言わさないように気を付けてほしい。」
「真剣にやらないお前がいつもみんなのやる気を下げている」
↳「お前の力が加わったらさらに良くなる。だから力を貸して欲しいんや!!」
「お前はいつもそうだ!」
↳「そんなことしてて平気なお前じゃないと思うよ。こんなことも、あんなことだって協力してくれてたじゃないか。いい加減やめようや。」
このように、言葉を未来志向に変換して届けるだけで、子どもは断然受け取りやすくなります。
表面上はその時反抗的な反応を見せても、このような関わりを続けていくことで、子どもの反応は変わっていきますし、強力なラポールを築くことができます。
ですが、このような声かけをすれば、全てが全てうまくいくわけではありません。
実際の現場はきれいごとで全てが収まるほど甘くもないです。
ラポールが築けておらず、子どもを操作するために使おうとすれば言葉は上滑りするでしょうし、教師の思いやりや優しさを逆手にとって、つけあがる子どもも中にはいます。
どんなスキルや理論にも万能はありません。その状況や相手を見極めて使うことが大切です。
ただ、はなから子どもを信じずに、問題が起きないように力づくで抑え込む指導よりも、子どもの可能性を信じ、愛情のある声かけを続けられる教師を目指すことは、子どものハッピーな未来に繋がると私は信じています。