ディラン先生の自己紹介・第一章【小・中学校編】義務教育で精神を崩壊

 

 

こんにちはディラン先生です!(@dylan_sennsei)

 

当ブログにお越しくださりありがとうございます。

 

この記事は、ディラン先生の自己紹介・プロフィール【小・中学校編】となっています。

 

こんな内容です・暴力教師、スクールカーストに苦しむ9年間

 

・ヤンキー養成中学校で精神が崩壊する

 

・義務教育では逃げるか倒すかも大事

といった感じで、僕の小・中学校はけっこう暗黒時代なので、いじめ・暴力をメインテーマにして書いています。

 

ディラン先生ていったいどんな人間なんだろうと、少しだけ興味のある方は、まあまあ包みかくさず書いてますので、良かったら読んでみてください!

第一章 えらい所で生まれ育ったものだよ

不良にもなりきれなかったイキりたがり少年時代【小学校】

僕が生まれ育ったのは、大阪市のなかでも超こてこての街、生野区です。

 

初対面の人に、出身どこ?って聞かれて、「生野やけど」って返すと、みな同じようなリアクションが返ってくることが多いです。

 

「あぁ・・、生野か・・。」

 

昔から大阪の生野区といえば、ヤンキーの街、朝鮮人の街としてのイメージが強くあるのかもしれません。

 

何十年経ってもその名残は残っているのでしょう。

 

実際、僕が通っていた小学校、中学校もそれはそれは無茶苦茶でした。

ヤンキー養成所のような学校でした。

教室で彫刻刀が飛んでましたから。

 

強くなければいじめられる。

明日は我が身。

 

なので、僕もけっこうイキっていました。

3階の校舎から、メダカの水槽(メダカはいない)の水をバシャーと滝のようにこぼしたら、下の階の教師にしぬほど怒られました。

 

当然ですけども・・。

ヤンキーに憧れていたというか。

全然なれなかったですけど。w

 

写真は、スクールカーストの上位層にいた頃の僕です。

このあとケンカが弱かったことが判明し、地獄をみます。

 

そんな毎日を9年間過ごしてきたら、人間、ちょっとおかしくなります(笑)

 

荒れた学校を統治するために、教師たちも容赦なく鉄拳制裁で従わせていましたね。

僕もよく殴られました。

 

小6のときに、友達がいたずらをして、その横で僕もヘラヘラ調子乗ってふざけてたら、30代くらいの男の教員に何発もげんこつを食らわされて、帰ったらオデコがぼこぼこに腫れあがったことがありました。

 

さすがにこれには父親もキレて、学校に怒鳴り込んでくれましたが、今こんな事やれば一発でアウト!

 

なんなら刑事事件でつかまりますね。

 

そんな感じで、むちゃくちゃな教師たちの指導のもと、むちゃくちゃな学生とともに、とにかく嫌で嫌でしかたがない義務教育9年間を過ごしてきました。

 

中途半端にイキって(調子にのって)ヤンキーぶった時期もありましたが、ケンカが強くないことがばれて、邪険にあつかわれるようになったりもしました。

 

まさに地獄でしたね。

スクールカーストっていうやつです。

 

どいつもこいつも、そんな感じで、

いつ自分がいじめられるかもしれない不安からか、自分よりも弱い人間を見つけてはいじめをくり返していました。

 

今になって自分のことを美化するわけではないですが、僕はそんな状況の中でも、いじめられているやつをかばう人間でした。

これはほんとにね。

 

この学校クソやなと。

こいつらも、教師全員もみんなクソやなと、小学生のときから常に思っていました。

 

そして、

「いじめられてるお前らもクソやぞ!立ち上がれ!おれについてこい!」
(もちろんこんな風に声はかけてませんけど)

 

ってことで、イジメられた経験のあるメンバーを集めて、テレビのCMで募集していた駅伝大会に応募して出場しました。

1人はズボンにウンコが付いていていじめられた。

1人はケツがでかいという理由でいじめられた。

1人は身だしなみが△なのでいじめられた。

1人はデカいけどのんびり屋さんだからいじめられた。

 

僕はといえば、いじめっ子がいじめられっ子に降格したところを助けようと救いの手を差し伸べたら、

 

その手をつかんで引きずり降ろされ、僕がいじめられっ子に降格しました。

 

という経験をしました。

 

そんなメンバーをかき集めて、本番当日まで、近所の公園でランニングの練習をしていましたね。

 

みんなやればできるんや!って。

勝手に心の中で励ましてました。

 

超おせっかいなんですけども。

 

今振り返っても、小学生ながらにすごい行動力とリーダーシップだったと思います。

 

イジメている側は自覚がないものなので、もしかしたら気づかずに僕もイジメたこともあるかもしれないですが(たぶんある)、いじめ天国のような状況のなかでも、いじめられている人間をかばうことはよくやっていました。

 

親の影響か、正義感だけはめちゃめちゃ強かったんですね。

 

その反動で嫌がらせを受けることも度々ありましたが。w

 

中学校で地獄の3丁目くらいに突入

中学校は別の校区の小学校と合併するので、人数が倍になりました。

 

そして、驚くことに合併した小学校もまた荒れていて、なんならそこから来る奴らはツワモノぞろいでした。

 

小学校ではなんだかんだいっても、カースト順位は中流を保っていました。

(正しくは、自分から仕掛けたケンカに負けて上流から降格したのですが。)

 

ですが、中学になり一気に下級戦士に成り下がってしまいました。

教師もどついてきますが、ヤンキーは目があわなくても殴ってきます。

 

反抗しようものなら、やつらは仲間意識が強いので、集団で返り討ちにあいます。

 

さらに僕を追いつめたのは、僕は”目立ってしまう”ということでした。

それがさらに目をつけられる原因となりました。

 

その当時、自分で言うのもなんですが、けっこうモテた!んです。

なぜか他の学年の先輩や後輩から。

 

休み時間に校舎の窓から、僕がサッカーをしているのをただのぞきにくる後輩の追っかけグループがいたりもしました。

 

マジですよ。

 

僕は野球部でそこそこ活躍していたので、それがかっこ良かったのかもしれません。

中学生って、めっちゃおもしろかったり、スポーツできたりしたらモテますよね。

 

そして、中学生なんで、アホなので、僕も調子に乗ってしまうんです。

 

校舎の窓の後輩に、手を振って喜んでもらえたとかで、スターになった気分でいたんですね。

 

けれども、そんな行動はあきらかに同じ学年の人間から見たら浮くわけで、

 

「あいつめっちゃ調子乗ってるやん!最近、髪茶色いし!」

 

「一発、シメといたろか」

となるわけですね。

 

いま振り返れば、僕自身、もっとうまいやり方があるだろうにと思いますが、当時の中学生ディランはまだまだノータリンだったので、反感を買うエキスパートでした。

 

まったく空気が読めないやつでしたね。

 

なので、5,6人のヤンキーたちに校舎裏に呼び出されては、

「お前、最近調子のってんちゃうぞー!」

 

ボカーン!!っていきなり頭なぐられるみたいなことは結構ありました。

むちゃくちゃですよ。人権などない。

 

イジメの種類で、周りからシカトされて辛いというのがありますが、

その当時の僕は、シカトされる方がよっぽどましだと思っていました。

 

「もうおれにかまってくれるなヤンキーどもよ」と。

無視でも仲間外れにでも勝手にしてくれと。

 

なぜなら、単純に暴力はめちゃめちゃ痛いからです。

どつかれる度に、体も痛みますし、心も破壊されていきます。

 

ほんとその当時は、急激にすさんでいきましたし、どんどん人間不信になっていきました。

 

僕はノミと同列になりました

ノミって、ジャンプ力がめちゃめちゃあって、何メートルも高く跳べるんです。

 

けど、フタをされた瓶の中にいれてしばらくすごさせると、フタの高さ以上跳ばなくなってしまうんですよね。

 

それと同じで、なんども裏に呼び出されて、ボカーンってことをくり返していると、今にみとけよこのクソボケカスナスー!!

っていう、燃えたぎる反逆心みたいなのがもてなくなってくるんですね。

 

「あぁ、またか。勘弁してほしいわ・・。消えたい。」

みたいな。

 

だんだんとチックも出るようになり、ワケの分からない罪悪感に支配されるようになりました。

 

ちょうどそんな時期に、阪神大震災が起こり、多くの死傷者が出たことにより、完全に心が病んでしまいました。

 

バーンアウト!ですね。

 

「なんで自分は生き残ってるんか・・。」みたいなことを考えるようになり、生きているのも罪悪感でした。

 

急に涙が止まらなくなったりと。

診断は受けていませんが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)ですねたぶん。

 

当時はそんな診断名なかったのかもですが。

 

その当時、僕は世捨て人になろうと思っていました。

坊さんにでもなろうかなと。w

 

それくらい精神的に追い詰められていたので、受験勉強などまったく手に付かずでした。

 

なので進学は超アホな私立の工業高校に通わせてもらうことになりました。

親にはだいぶ負担をかけてしまいました・・。

スミマセン。

 

学校は可能性をそぎ落とす監獄だぜベイべ!

中学で暴力によるいじめを受けるまでの僕の性格は、ひょうきんで、自由な感性で、自信たっぷりな子供でした。

 

新庄剛志みたいなタイプですね。

 

なので、気づいたらリーダーになっていたし、周りから頼られるタイプでした。

 

その時、いじめを受けて学んだのは、

目立ってはいけない、自分は無能、空気を読まなければつぶされる

というようなことでした。

 

義務教育という監獄に9年間どっぷりとつかることで、本来子どもがもっている、キラキラした天真爛漫さは跡形もなく削り落とされました。

 

なので、僕は思うんです。

学校なんて無理に行く必要ないと。

まったく意味がない。

 

幸い、今の時代は選択肢が他にいろいろあるので、腐った環境に身を置くぐらいなら他の選択肢を探すことに力を入れた方がいいと思います。

 

逃げたらいいんですよ。どんどん。

 

もしくは、自分自身が強くなってしまうことです。

イジメられそうになっても、それを払いのけられる、パワーや術を身につけることです。

 

僕の息子には、小学校に入る前に、ボクシングや護身術を教えてあげようと思っています。

僕が大人になって学んだ程度なのでしれていますが。

 

子供にとっては十分です。

人を傷つけるために武術を身につけるのではなく、身を守るために自分が強くなることは必要なことです。

 

この考え方は大人になっても生きると思っています。

なぜなら、社会にでても人を平気でいじめるクズ人間は一定数いるので。

 

逃げるか倒すかの手段をとれるようにしておく必要があると思います。

 

クズ人間のいじめを真に受けて自分を殺してしまう選択肢ほど、無念なことはないですから。

 

中学の当時に戻れるなら、自分を鍛えまくって、自分で環境を切り拓いていくと思います。

 

でも、学生には知識も経験値も少ないし、学ぶための資本もないですから、現状を黙ってじっと耐え抜くしか選択肢がないように思ってしまう。

 

そう思わせるのも、学校へ行くことが正しいという固定化された世間一般の常識がまだまだあるからだと思っています。

 

そんなつまらない大人の概念で、大事な子供の才能がつまれてしまうのが僕は何よりも残念なのです。

 

子供のころに形成された人格は人生に大きな影響力をもつ

小学校では無能な教員に吊るしあげられ、中学校では無慈悲なヤンキーたちのカワイガリを受け、その当時に形成されたアイデンティティがその後の人生に大きく影響を与え続けることになりました。

 

ということで、僕は教員と義務教育の制度が死ぬほど嫌いです。

憎むほどですね。

それは教員をやっている今でも変わらないです。

 

学校は人間の可能性をそぎ落として、無能な人間を生産する場でしかないと、僕は思って生きてきました。

 

そんな僕が、公立の小学校の教員になるのは、中学を卒業してから20年近く経ってからのことです。

自分でもまさかです。

 

教師、学校文化に復讐する。

その思いで教員になったともいえます。

 

犯罪を犯すってことではないですよ。

今話題の、「〇〇〇をぶっ壊す!」をリアルにやってやろうと思ってやってきました。

 

結構な確率で返り討ちにされていますが・・。

 

これからも学校教育を良くしていけるように、百石くらい投じていこうと思っています。

 

このことについての詳しいお話は、社会人編で書いていきたいと思います!

 

ということで、第一章はここまでです。

第二章は、高校~大学編になります。

 

読んでいただけたら嬉しいです!

最後までよんでくださり、貴重な時間をありがとうございました!

12 COMMENTS

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です